生活のこと

世界は偽善でできている

本当に相手のことを思っての施しというのは、どれだけの数おこなわれているのだろう?

愛する家族や親友などへはきっと心を込めた施しが出来ているのだろう。


だが、社会生活の中では愛する人以外との接触が多くなる。

会社の同僚や上司、勤務先のお客さん、ママ友。

正直どうでもいい人との関わりが多いと思う。

そんな人たちに愛なんて注げない。


それでも私達の生活が平穏に流れているのは、やまほどの“偽善”のお陰だと思っている。

ムカつく相手にもにっこり微笑み、気が乗らない話にも真剣な素振りで付き合う。

お互いのそういう偽善があってこそ、今の平和があるのではないか、と思うのだ。


これは、一個人の意見であり、他の人が同じように思っているかどうかは知らない。

人間不信である私の独特でひねくれた考え方かもしれない。



でも私は偽善が悪いものだとはちっとも思っていない。

偽善によって救われる人はたくさんいると思っているから。


私自信、お客さんとしてお店に行ったとき、販売員さんの笑顔やちょっとした気遣いに癒やされている。

それをおこなった販売員が一体どういう気持だったかはそこには関係ない。

ただ私はその行為に喜んで、癒やされているのだ。


だから偽善は意味のあるものだと思う。

心がなくても、受け取る相手にとってメリットがあるのなら、意味があると思う。

何もしないよりは何百倍もステキだと思う。


私はこれからも偽善と共存していくつもりだ。


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